Lingerie TALK vol.11 『ワコール』

ワコール京都スタジオ アーティスティックディレクターRIBON(松村昭子)さん(前編)

「”完璧なアシスタント”であることが求められた新入社員時代に、本当に感謝しています。

ランジェリー界で活躍する方々のルーツ、ポリシー、そして夢を語って頂く、「Lingerie Talk @ Lingerie Press」。

今回登場して頂くのは、今年、創立68周年を迎えるワコールに席を置いて41年、これまで数々のブランドのデザイナーとして活躍されたRIBONさん。”ランジェリー愛”にあふれ、それを”創る”ことで表現し続けてこられた方の歴史を、じっくりお聞きしました。

デザイナーとして配属されるも、試作用生地を染める日々...

川原好惠(以下、川原):RIBONさんは名刺も「RIBON(松村昭子)」となっていますが、そもそもなぜ“RIBONさん”なのですか?

RIBON(松村昭子)アーティスティックディレクター(以下、RIBON):私はラグビーでも有名な、京都市立伏見工業高等学校の工業デザイン科の卒業です。工業高校ですから、女子学生の数はほんのわずか。3年間、ヤンチャな男子生徒に囲まれて高校生活を過ごしました(笑)。その頃、小さなリボンをしていたせいか同級生の男子が「RIBONちゃん」と呼ぶようになり、卒業してワコールに入社すると、先に入社されていた伏見工業の先輩方に「RIBONちゃん、うちに来たか!」と歓迎して頂きました。以来、ずっとそう呼ばれています。デザイナー時代は、名刺に本名を書いていましたが、今のポジションになってからは、覚えられやすいこともあって「RIBON」になったんですよ。

川原:伏見工業の高校生の頃から、ランジェリーのデザイナーになりたかったのですか?

RIBON:いえいえ、そんな事は思ってもいませんでした。私は学校も職場も親や先生のアドバイスに従って歩んできた人間です。人事の仕事をしていた父に「女性も手に職を持つべき」と言われ、伏見工業高校に入り、工業デザインを勉強したんです。ワコールに入ったら、人間科学研究所*1で体を計測して研究するか、パタンナーになるんだろうな……と思っていたら、なんとデザイナーに配属されて、ビックリしました。

*1 1964年、女性のからだを科学的に研究してものづくりに生かすために作られた研究所。http://www.wacoal-science.com/

川原:高校を卒業したばかりの女の子がいきなりデザイナーなんて、すごいですね!

RIBON:配属されたのは、ボディスーツのデザインをする部署だったのですが、もちろん入社早々にデザインなどできるわけもなく、1年間はサンプルを作るために生地や資材を染めたり、型紙を台紙に貼ったり切ったり。型紙ひとつ切るのにも、切った線がガタついているからとダメ出しされましたし、染色は、お湯と染料を缶に入れてデスクで染めるんですよ。ブラジャーやショーツの生地を染めている同期はその缶が小さいのに、ボディスーツの生地は広いから私の缶は大きかったな……。当時の先輩デザイナーさん達は本当に怖くて(笑)、私は完璧なアシスタントになることが求められました。まさに下積み生活ですが、後から振り返ると、それが私にとって、とっても大切な経験だったんですよ。余裕を持って育てて頂いて、本当に感謝しています。それに、当時のボディスーツはまるでワンピースのようにきれいで、ブラカップも1枚ものが多かったし、フルカップ、3/4、1/2とバリエーションも豊富でした。

1987年にデビューした「モア クレエ」を進化させるかたちで、2001年に誕生した「モア クレエ ネオ」。RIBONさんは、プランニングデサイナーとして、そのスタリッシュかつモードなブランドを作り上げました。

 
パターンを理解しフォルムを作り上げて
初めてデザインが生まれる

川原:実際にデザインされるようになったのは、まだ後なんですね。

RIBON:その後、分かれていたデザイン担当の部署とパターン担当の部署が合併したんです。下着はパターンを理解しフォルムを作り上げて初めてデザインが生まれるからです。そこからは、ブラジャーのパターンを徹底的に学びました。今のようにCADはありませんから、すべて手で引きましたし、グレーディングも自分達で行います。海外の商品もたくさん見て勉強し、切磋琢磨する中で新しい機能も生まれました。先日、その頃私が引いたパターンが資料室に残っているのを見つけて、驚きました!なんだか、嬉しかったですね。

川原:そもそもデザイナーになるつもりはなくて、入社されたとのことですが、その下積みの過程は辛くなかったですか?

RIBON:確かにデザイナーを目指していたわけではありませんが、美しいものは大好きでしたし、“デザイン”の概念は高校時代に学んでいました。私は体が小さく既製服が合わないからと、私の服は小さな頃から母がすべて手作りしてくれ、私自身も高校生の頃から自分で作っていました。もちろんファッションにも興味はありましたし、母の影響で中高校生の頃から洋画ばかり観て、その世界に憧れたことも、デザイナーになるうえでとても役に立ったと思います。初めてのお給料で買ったのは、ラペルラの紫のブラジャー、ショーツ、スリップのセット。初任給のほとんどが、それで消えてしまいましたが、それは今でも大切にとってあります。

川原:それから、数々のブランドのデザインを担当されるようになったきっかけはあったのですか?

RIBON:それまで、ボディスーツ、ブラジャー、ガードルと単品ごとに商品を開発していたのですが、各部隊から何人かのデザイナーがビックアップされてトレンドチームが作られ、私もメンバーになったんです。様々な取引先に向けてコーディネイト提案するチームなのですが、そこで提案された商品が基礎となって、専門店向けブランドである「サルート」、東京発ブランドの「モアクレエ*2」などが生まれていきました。

そこで、ランジェリー*3のデザイナーの仕事ぶりを間近で見ていたのですが、私達ファンデーション*4のデサイナーとは雰囲気がひと味違っているのが印象的でした。トワルをじっと見つめ、レースを魔法のように配していくんです。その姿はアーティストのようで、鮮明に覚えています。

*2 現在はブランド終了。

*3 スリップ、キャミソール、ペチコート、テディなど機能性とともに装飾的に楽しむもアイテム。

*4 ブラジャー、ガードル、ボディスーツなどボディラインを整えるアイテム。

RIBONさんがプロデュース&プロダクトデザインしたワコール2017年のカレンダーとデザイン画。ワコールのアーカイヴをベースに現在のランジェリーを提案。人気フォトグラファーkisimariさんとのコラボが実現し、独自の大人ファンタジーな世界が繰り広げられています。

 

次号(1/31公開予定)はテザイナーとして、どのような仕事に関わられたか詳しく紹介します。

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