Lingerie TALK vol. 21 『ピーチ・ジョン』

(株)ピーチ・ジョン

コミュニケーションデザイン部 部長

三浦洋美さん(前編)

 

「渉外担当として年間20回の海外出張

海外の会社とピーチジョンを繋ぐ仕事は

まさに私のやりたかったこと」

 

ランジェリー界で活躍する方々のルーツ、ポリシー、そして夢を語って頂く、「Lingerie Talk @ Lingerie Press」。今回は2000年にピーチ・ジョンに入社し、その中枢で同社の成長を支えてこられた三浦洋美さんに登場していただきます。

インポートブランドからオリジナルブランドへと取り扱い商品が移り変わった経緯、中国進出、そして現在のコミュニケーションデザイン部について、ピーチ・ジョンの歴史を振り返りながら、お仕事に対する想いを伺いました。

お客様との接点となる部分を一貫したブランドイメージで統括

 

川原好恵(以下、川原):本日はお忙しい中、お時間を頂戴し、どうもありがとうございます。お会いする度に色々とお話させて頂いていますが、こうして取材させて頂くのは初めてですね。

三浦洋美コミュニケーションデザイン部部長(以下、三浦):そうですね。東京での展示会だけでなく、パリやニューヨークのランジェリー展、成田空港でもお会いしたことありますよね。

川原まずは、現在のお仕事について教えていただけますか。

三浦現在、私が所属するコミュニケーションデザイン部は、2016年4月に設立された新しい部署です。広告、PR、販売促進、実店舗、ECサイト、通販カタログ、コールセンターまで、お客様との接点となる部分を一貫したブランドイメージのもと統括する部署。“お客様とのコミュニケーションをデザインする部署”と捉えて頂ければいいと思います。

川原2016年春号から、かなり大胆にリブランディングされましたよね。そのきっかけは何だったのですか?

三浦マーティング調査の結果、ピーチ・ジョンは“かわいい”“おしゃれ”というイメージで認知されていることがわかり、そのイメージを一貫して表現することに。ギャルっぽさを払拭し、モード感を高めました。

川原:具体的には、どのように変化されたのですか?

三浦それまで、カタログの表紙やメインビジュアルに日本人のタレントさんを起用していたのですが、世界的に活躍する外国人モデルにし、えぐちりかさんをアートディレクターに起用しました。また、それまで下着、服、コスメと3冊に分かれていたカタログを1冊にまとめました。その2点が、わかりやすい変化ではないでしょうか。

2017年春号カタログ。モデルはカール・ラガーフェルドのミューズとしても知られるスーパーモデル、リンジー・ウィクソン。

リブランディングした2016年春号。モデルはユミ・ランバート。紙面もよりモード感のあるデザインに刷新されました。

下着姿の梅宮アンナが渋谷109に掲げられ話題に

 

川原三浦さんが入社されたのは何年ですか?

三浦:2000年です。ちょうど、渋谷109の外壁ビルボードにブラ&ショーツ姿の梅宮アンナさんの広告が出て非常に話題になった年。その広告の写真は、今でもオフィスに飾られていますよ。

川原たしかに、すごく話題になりましたよね。渋谷109はランドマークでしたし、あの大きさでブラ&ショーツ姿の梅宮アンナさんの広告が掲げられた時は、本当にビックリしたので、私もよく覚えています。入社してしてからは、どんなお仕事を?

三浦当時はまだ海外ブランドからの輸入品が取り扱い商品のメインで、私は渉外担当でした。具体的には、バイイングした商品の発注書を出すまでが私の仕事です。ブランド側との条件交渉、スケジュール確認、商標確認、契約書の締結、品質チェック、ブランドストーリーの確認など業務内容は多岐に渡ります。一度の出張で、チームができるだけ効率良く回れるように、スケジュールを立てるコーディネーターもやっていましたね。当時は年間20回ほど海外出張に出ていました。

川原:私も何度か海外の展示会でお見かけしましたが、ピーチ・ジョンチームはいつも華やかでしたよね。

三浦女性ばかり10人近くで移動しているので、確かに目立ちますよね(笑)。

川原海外ブランドの対応はどうでしたか?

三浦たぶん良くも悪くも、名前が知られていたんじゃないかと思います。当時はカタログを200万部発行していましたから、初めて取引するメーカーには「20代女性の4人に1人はカタログを持っている」と説明していました。海外の取引先にとっては、とても要求が厳しい会社と捉えられていましたね。オーダーするサイズ配分も日本人のうちのお客様に合わせるので、海外メーカーから見れば偏っていますし、納期遅れは許されません。もちろん品質に対する厳しさは日本基準で徹底しました。そのため、気に入った商品・ブランドでも、その交渉の段階で決裂する場合も多々ありましたよ。

 

 

当時のベストセラーは「Rago」のハイパワーガードル

 

川原当時、一番売れた商品は何だったか覚えていますか?

三浦そうですね、色々ありますが……そうだ!「Rago(ラゴ)」のガードルです!

川原:え〜意外です! 当時からピーチ・ジョンは若くておしゃれ好きな女の子のための下着通販のイメージで、常に旬なブランドを紹介されていたので、あの補整力の強いベーシックなガードルが一番とは……。

三浦:ずっとスタイルを買えないで、何年も売れ続けたダントツのロングセラーです。あの手の商品は、やはり強いですよ。

川原輸入品からオリジナルブランドへと、主要商品が大きく変わったのはいつ位ですが?

三浦2005〜2006年頃だと思います。それまで、私の交渉先は欧米のインナーアパレルだったのですが、その頃を境にアジア諸国のOEMメーカーになり、出張先もほとんど香港になりました。渉外担当という役割は変わりませんでしたが、仕事内容も取り巻く環境も大きく変わりました。

川原:どんな点が異なりましたか?

三浦あらゆる商品を扱っていたので、ブラジャーのことは熟知していましたが、「仕入れる」仕事から「物を作る」仕事へと感覚を変える必要がありました。勉強しながら、チーム全体で作り上げていきましたよね。異動する2010年頃には、95%がオリジナル商品になっていました。出張ばかりで大変ではありましたが、私は米国フロリダでファッションを学んだこともあり、バイイングや物作りに深く関わりながら海外の会社とピーチ・ジョンを繋ぐ仕事は、まさに「私がやりたかったことはこれだ!」と思いました。

三浦さんが入社された2000年春号カタログ。この梅宮アンナのビジュアルが渋谷109のビルボードに掲げられ、社会的な話題となりました。

ダントツのベストセラーとなった『Rago』のガードル(2000年春号カタログより)。『Rago』は1946年創業のニューヨークブランド。

 

*次回(6/30公開予定)は、なぜピーチ・ジョンに入社されたのか、海外への出店、これからランジェリービジネスの道を進みたい方へのメッセージなどを紹介します。

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