Lingerie TALK vol.22『ピーチ・ジョン』

(株)ピーチ・ジョン

コミュニケーションデザイン部 部長

三浦洋美さん(後編)

 

「色んなことに勇気を持って。

勇気がなくなると、すべてが停滞するから

 

ランジェリー界で活躍する方々のルーツ、ポリシー、そして夢を語って頂く、「Lingerie Talk @ Lingerie Press」。今回は2000年にピーチ・ジョンに入社し、その中枢で同社の成長を支えてこられた三浦洋美さんに登場していただきます。

インポートブランドからオリジナルブランドへと取り扱い商品が移り変わった経緯、中国進出、そして現在のコミュニケーションデザイン部について、ピーチ・ジョンの歴史を振り返りながら、お仕事に対する想いを伺いました。

通販ビジネスに関わりたくてピーチジョンへ

 

川原好恵(以下、川原):三浦さんは、下着が好きでピーチ・ジョンに入社されたのですか?

三浦洋美コミュニケーションデザイン部部長(以下、三浦)いえ、違います(笑)。社会人としてのスタートはメンズアパレルの販売でした。非常に客単価の高い店で、1日3人くらいの顧客来店で年間1億売る店だったんですよ。男性客は一度信頼を得るとロイヤルカスタマーになってくださる方が多いのですが、仕事で成功されたお客様が多かったこともあり、私にも服・接客のプロフェッショナルとして完璧さを求められました。時には、ご希望にそえなかったお客様に厳しく叱られたことも。ただ、後になって振り返ると、あの売場で接客していた約2年間にプロ意識を叩き込まれたと思います。今でも、それは私の基盤です。そのあと、並行輸入会社やイタリアのコレクションブランドで輸入を担当し、『とらばーゆ』を見てピーチ・ジョンに入社したんです。

川原::『とらばーゆ』! 懐かしいですね(笑)。下着に興味があったわけではないのに、なぜピーチ・ジョンに?

三浦:日本のアパレル、並行輸入、海外ブランドビジネスと経験し「まだ、通信販売をやっていない!」と思ったんです。下着の仕事をやりたいのではなく、通販ビジネスをやりたいと思って、ピーチ・ジョンに興味を持ちました。

中国でのショップオープンを前に、中国最大手の雑誌社Rayli社のカバーガールを選出するコンテストにてピーチ・ジョンプロデュースのランジェリーショーが開催された際のリポート。「ピーチ・ジョン賞」を獲得した方にトロフィーを渡す、三浦さんの姿も紹介されています。

初の海外進出に向け、社長という重責を背負って上海へ

 

川原:10年間、渉外担当として海外ブランドの輸入、オリジナルブランドの製品作りに関わられた後のお仕事は?

三浦:ピーチ・ジョンが中国進出することが決まり、2010年に中国支社を立ち上げ、私は社長として着任し店舗オープンをはさんで約1年、上海に住みました。現在は中国本土に5店舗、香港に5店舗あり、5月には台湾に1号店がオープンしました。

川原:三浦さん自身、中国のビジネスに興味はあったのですか?

三浦:正直に言うと、本当に最後の最後まで固辞したんです。ただ、当時社長だった野口美佳は中国進出に対して熱い想いがあり、それを身近でよく知り、ダイレクトに伝えられる人間に行って欲しかったようです。スタート時のメンバーは日本人3人、初の海外進出でしたし、その業務はとてもタフなものでしたね。無事に1号店をオープンさせた後、社長職は自ら後任に譲り帰国。その後は、日本で海外店舗のMD担当に。そして、2013年10月から産休に入り、12月に出産しました。

川原:え〜〜〜!!三浦さん、いつの間に!!まったく知りませんでした!

三浦:よく言われます(笑)。だって、総務に産休の届けを出しに行ったら「誰が産休なの?」「私です」「冗談でしょ!?」と言われたくらいですから。

川原:そうなんですね! ピーチ・ジョンはワーキングママが多いですよね。

三浦:私の部署も11人中5人がワーキングママですし、企画にも多いですね。出産して2014年4月に復帰してからは、仕入部に配属され、エヴァンゲリオンなどの様々なコラボレーションやANAの機内販売なども担当。そして、2016年春より現職です。

5月26日にオープンした、台湾の旗艦店。場所は台北で最もファッション感度が高い人たちが集まるエリアで、人気の高い映画館(信義威秀VieshowCinemas)が所有する商業施設の1階という好立地。

「今だったら…」中国で社長を務めていた時のことを思い出します

 

川原:これまでお仕事されてきた中で、ピーチ・ジョンそして三浦さん自身のターニングポイントはいつだと思われますか?

三浦:ピーチ・ジョンとしては、2006年に株の49%をワコールホールディングスに譲渡した時でしょう。オーナー企業から組織経営へと大きく変わった時です。資本業務提携にあたり「ピーチ・ジョンの自由な社風は大切にする」と言われましたが、一社員として心配はつきませんでしたよ。「これから、どうなるんだろう」って。でも、会社はどんどん大きくなっていましたから組織されたパートナーが必要でしたし、その考えは間違っていなかったと思います。

川原:記者会見には私も出席しましたが、本当に驚きました。

三浦:ですよね。下着業界のロイヤルファミリーとギャルが結婚するようなものですから(笑)。でも、おかげさまで今も自由な社風は変わりません。

川原:では、三浦さん自身のターニングポイントは?

三浦:中国進出の際、社長に着任して上海に移住したことでしょうか。環境も考え方も商習慣もすべてにおいて違う中国で挫折も感じ、自ら社長の座を譲りました。果たして、あの決断は正しかったのか、あのまま私が社長を続けていたら、どうなったのかと……。社長という重責を背負うには、まだ若かったのでしょうが、「今だったら……」と思うことがよくあります。でも、あの経験で自分の見方次第で世界は変わること、別の視点から物事を見ることを学びました。

川原:今春、カタログも100号となりましたね。

三浦:私が入社したときのカタログが32号ですから、ピーチ・ジョンの歴史の大半を見てきたことになります。最近、ピーチ・ジョンがこれまで歩んで来た道を忘れて欲しくないな、と思うようになりました。それを伝える人間が会社に居ることも必要なんじゃないかと。

川原:これからランジェリービジネスに関わりたいと思っている方々にメッセージを。

三浦:作る人間が楽しくなければ、見ている人が楽しいはずがないというのが私の持論です。効率ばかり追求していては、その楽しさもなくなりますから、時には無駄も必要です。そして、色んなことに挑戦する勇気を持って欲しいですね。勇気がなくなると、すべてのことが停滞しますから。

川原:今日は長い時間、ありがとうございました!

2月23日に表参道ヒルズ・スペースオーで開かれた「PEACH JOHN 100号発刊記念パーティ」の様子。入り口にはすべてのカタログの表紙がディスプレイされ、創業者の野口美佳さんが来場されたり、パフォーマンスが披露されたりと、会場は華やかなお祝いムードに包まれました。

 

インタビューを終えて……

今回の取材を通し、もう15年以上ものお付き合いになるとあらためて知り、感慨深いものがありました。2006年のワコールホールディングスとの資本業務提携は、私の取材活動の中でも鮮烈に記憶に残っていて、野口美佳社長(当時)が記者会見で「塚本能交ワコール社長(当時)の『一緒に海外に行きましょう』という言葉で(資本業務提携を)決めた」という旨の話をされたことをよく覚えています。その想いを背負って、上海に行かれたのが三浦さんだったのですね。ご自身の経験も、会社への想いもストレートに語ってくだった三浦さん。創業時から伝わるピーチ・ジョンイズムを伝える1人として、さらなる飛躍へと導くチームリーダーとして、これからのご活躍を楽しみにしています。

director 薦岡 摩梨奈

director 薦岡 摩梨奈

外資金融を経て、商社にて輸入ランジェリービジネスに携わる。イタリアファッションアクセサリーブランドのMD, PRESS業をした後、独立しイタリアを中心としたインポートランジェリーブランドの総代理店業務、コンサルティング、プレス、ライティングなど幅広く携わる。ランジェリーに特化したフリーコンサルタントとして活動中。

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